楡心会会員からのメッセージ



【1】 西里 静彦(1959年卒業、カナダのトロント市在住、トロント大学名誉教授)


時は流れて

 知らぬ間に日本を離れて55年。変わっていないと思うのは何時も見慣れている自画像だけで、これも第三者の目には間違いなく老いぼれそのもの。今日は、後者の立場から長い月日を振り返ってみましょう。

 北大で心理学を勉強した頃の心理学は、実験室のなかで行われる学習、知覚、聴覚、動物、ゲームという古典的心理学でした。それが、今は、人間、生物が関係する総ての現象が心理学の対象となっており、「実験心理学科」という名前も豹変、老いぼれの、もと心理学生には心理学が別世界になりました。ところで、この広い心理学の中に、更に加えてほしい学問の分野があります。ロボット学です。 心理学では熟知であるように、人間の聴覚は素晴らしい能力を持っており、騒音の中でも、相手が何を話しているかを聞き分けることができます。今のロボットの聴覚はどうでしょうか?北米では電話を掛けると相手がロボットであることが多く、その時、北米在住の日本人の英語では、”I do not understand you. Please speak more clearly”という注文を受けることがあります。これは、札幌南高校の同級生浅野孝君(北大では共にギターを弾き、今は世界に名を誇るカリフォルニア大学名誉教授)も「俺もお前と同じだ」といっていますので、普遍的な現象です。それなのに、電話のロボットは、この10年、進歩せず相変わらず苦情を言います。私の希望は騒音の中でも、雑音があっても、英語にアクセントがあっても、苦情を言わないような電話ロボットの誕生で、その開発には、心理学の知見が必要です。ロボットの聴覚を心理学者により、更に進歩させてほしいものです。

 ところで、「ロボット学が心理学の一分野になっていないのはおかしい」と初めに言われたのは、世界の心理学で名高いウインザー大学名誉教授の小橋川慧先生です。小橋川先生はトロントにお住まいで、この10年以上毎月一回私とトロントの日本レストランで昼食会をしてきましたが、上の言明はその時に出たもので、私も上に書いた体験から分かるように、小橋川先生には全く同感です。皆様は、先生が書かれた「心理学ワールド」の4編のエッセイでご高名は聞いていることと思いますが、ロボット学と心理学の関係に関して、どういうご意見をお持ちでしょうか?

 私の専門分野である計量心理学でも、大きな変化を見ました。一次元尺度、線型解析を主としていた半世紀前、リッカート尺度(Likert, 1932)は、線型情報を捉える便利な方法でしたが、現在の我々の関心事は、多次元、非線型関係に拡大されました。この大きな枠組みを考えますと、リッカート尺度の従来の使用法では、大きな問題があるにも拘わらず、83年後の今日でも、無批判に使われています。リッカート尺度によるデータ収集は現在も各方面で使われており、問題はないのですが、リッカート尺度を得点として解析してしまうと、データを線型濾過機に掛けて、非線型関係の情報をすべて捨てることになるのです。今日の探索的データ解析には、リッカート尺度の1,2,3,4,5という数値を、データに最適な数値に変換すること、データへの回帰として求めることが必要なのです。この処理法としては、日本では林の数量化理論、私の提唱した双対尺度法(dual scaling)があり、多次元、線型、非線型関係を無駄なく把握してくれます。双対尺度法は、非線型多次元解析法ともいわれています。

 世界の学界も大きく変化しつつあります。上述の浅野孝君や私がアメリカに留学した1960年初頭のころの日本はまだ第二次大戦の貧困から立ち上がれず、古い倫理が生活を支配、留学して学位を取らずに帰国するなど自分だけではなく家族の恥であると覚悟し、留学生は誰しも死に物狂いで勉強したものです。私も、4年間のノースカロライナ大学(UNC)時代は、UNCにおられた恩師故戸田正直先生がご存知であったように、北大心理からの中原淳一氏、中原睦美夫人と一生で一番の猛勉強をしました。その当時、例えば、インド人学生に会うと、強いインドのアクセントのある英語が聞かれるというように、外国留学生は、独特のアクセントのある英語を話していました。この現象は、私がカナダに移った1966年頃でも明らかに残っていました。半世紀後の現在は、どうでしょうか?トロントでインド人に会っても、イタリア人に会っても、ロシア人にあっても、独特のアクセントを、ほとんど聞くことがなくなりました。移民も二世になると国の言葉を完全に話します。北米では、今は、二世、三世、四世の時代になっているということです。昨年の夏、北京の学会で中国勢の大活躍を目にしました。彼らのほとんどはアメリカの大学で教鞭をとっている研究者でした。中国人といえば、人口が大きいからという数の問題のほかに、積極的な海外進出があります。その結果、彼等にとって言語問題は少なくなります。計量心理学会は昨年生誕80年を迎えましたが、過去40年の会長を見ますと、会長の生誕国別ではアメリカ、オランダ、スエーデン、日本が複数人、中国生まれは一人だけでした。しかし次の40年にどのような会長が生まれるか、私の予想は中国系が圧倒的に多くなるというものです。もちろん、国と民族が同一でなくなった今日の世界の話ですので、昔とは、話の背景が違います。しかし、この兆しは、すでに私が在職のころに芽生えていました。二十数年前、北京から来た私の教え子は、博士論文を書いているとき、これを先生に寄贈しますといってくれたのが、その時出版になった数学専門誌へ投稿論文、彼が暇なときに数学の論文を書いているとは知りませんでした。更に、彼の博士論文は掲載至難といわれる計量心理学会誌Psychometrikaに掲載されました。浅野孝君は水資源活用の世界的権威ですが、彼の専門ジャーナルは大半が中国人の論文だ、彼等は非常に優秀だといっていました。ノーベル賞受賞者の数では、日本が素晴らしい業績を挙げてきましたが、他の領域でも日本人の活躍を未来に期待したいところです。世の中、今は英語がものをいう世界、これからの日本の英語教育の更なる向上、若い人の海外進出、更にもっともっと効率的な日本人の研究の海外発信が望まれます。「もと日本人」として、日本の皆様の海外志向の上昇、国際的競争力の強化を期待したいところです。

 最後に私の心理学(psychology)を一つ披露しましょう。カナダの国籍を取ってから45年余、カナダ籍のほうが日本籍より遥かに長くなります。私は、今や歴としたカナダ人です。上に述べた学界の変化、特に中国人の進出は、カナダやアメリカでも明確ですが、私にはそれは自然のこととして受け入れることが出来、あまり気になりません。当たり前のことなのです。周知のように、自分の勤め先を同僚と批判しても、なんとも思いませんが、その批判に外部からの第三者が賛同すると感情を激しく傷つけられるという心理があります。ということは、例えば、家内と私は、何時もカナダの教育を批判していますが、日本からのお客さん、私の家では、どうかカナダの教育を批判しないでください。これを延長し、日本の学界のこととなると、どうでしょうか? 沢山の中国人の優秀な研究者を目にすると、どうしても「日本人も頑張らなくては」、ということになってしまうのです。やはり、私は今でも根は日本人だということでしょうか?


略歴:1935年札幌に生まれる。札幌南高を1955年卒、北大文学部実験心理学科を1959年卒、同修士課程を1961 年卒、1961-1965年University of North Carolina(UNC)のPsychometric Laboratoryにフルブライト留学(Ph.D., 1966 年)。カナダのモントリオール市のMcGill Universityの心理学部研究員(1967年)。1967-2000年、Ontario Institute for Studies in Education (OISE) of the University of Torontoに勤務(Assistant Professor, Associate Professor, Professor)。Psychometric Societyの会長、機関誌Psychometrikaの編集長を務める。日本行動計量学会から功績賞、出版賞、名誉会員を任命。